2016年07月16日

被害妄想は深禍する(1)

中学生の時、無視やしかとされ、クラスの中でこころの居場所を教室で失い。担任教師からも原因は自分自身にもあるのではないかと言われ、汚物のような扱いを受け、蕁麻疹、吐き気、不眠に襲われ、スクールカウンセラーの「こころが回復するまで休みなさい」とのアドバイスに従い、不登校になった。


学校を休むことで、最初のうちは気が楽だったが、勉強が遅れる、わからなくなる、体力も低下してきた等、様々な不安に襲われたが、学校どころか、他人が怖くなり外出も出来なくなってしまった。


そのうち、級友は「負け犬」と笑っているだろう。一日中部屋で暮らし、家族以外話をしない、係わらない自分は現在を喪失し、それに続く自分自身の未来は閉ざされ、過去の嫌なことばかりが思い出され、自分を苦しめる。

なんとか、この状態を抜け出したいと思えば思うほど、自信喪失からくる「僕は何をやってもダメなんだ」と自己嫌悪の世界が拡がる。


そして、追いうちをかけるように、自分自身を決定的に追いやった担任教師の「原因は自分自身にもあるのではないか」言葉、色々、反芻してみるが、思いあたることはなにひとつない。


他人の目を気にし、気を最大限に使い、他人の迷惑にならないように、まじめに、控えめに、目立たぬように教室では過ごしていたが、夏休み前の学年末試験、数学でクラス一番の成績を取った時から無視、しかとが始まった。


夏休みが終わっても、当然のごとく、学校に行こうとすると、激しい嘔吐、下痢が起き、登校できない。学校生活を満足におくれない自分に何の価値もないと思い死のうと完全自殺マニアルという本を読むが、いざとなると勇気がなくできない。


被害妄想はどんどん深まり、渦のように深まっていく、隣の家のカーテン越しから、隣人が監視しているのでは、登校する小学生の話声が、自分を馬鹿にしている、あるいは、笑っているのではないかとか思えてくる。さらには、家人の話声は、精神病院に強制的に入院させる方法を話し合っているように聞こえる。


中学は押し出されるように卒業、皆、高校生なるが、自分はなにひとつ動けない。

置いてきぼりになった自分。


僕は、「人として生きてはいけない人間だったのかもしれないと」思うようになってから、時は走馬灯のように駆け抜けていった。同級生は高3の最後の夏休みをもうじき向えようとしている。おそらく、希望に満ちた自分の道をそれぞれ歩くための準備をしていることだろう。


posted by 牟田武生 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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